今回は、2017年大河ドラマ【おんな城主直虎】で、浅岡ルリ子さんが演じる寿桂尼(じゅけいに)について紹介したいと思います。

寿桂尼とは、『女戦国大名』という異名をもつ女性で、カリスマ的存在でした。

今川義元の母である寿桂尼は、孫の今川氏真までをも支え続け、結果、今川家を50年以上も支え続けてきたといいます。

圧倒的な存在感を持つ女戦国大名は、今川家をどの様に支え続けてきたのでしょうか?

 

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大河ドラマ『おんな城主直虎』の寿桂尼役は、浅岡ルリ子!

 

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画像引用元:http://www.my-pro.co.jp/kalant/asaoka.html

 

2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』に今川義元の母、寿桂尼(じゅけいに)役で浅岡ルリ子さんが出演されます。

浅岡ルリ子さんは、1940年7月2日生まれですから・・・・

え~!ビックリ

76歳ですよ!

 

80歳を目前とした感じには到底見えないです。。。

さすが、女優さん!若さを保ってますよね~!

 

今回浅岡ルリ子さんが演じるのは、『女戦国大名』という異名を持つ、カリスマ的存在だった寿桂尼という役!

その寿桂尼が何故『女戦国大名』と言われていたのか・・・

次に紹介していきたいと思います。

 

『おんな城主直虎』で浅岡ルリ子が演じる寿桂尼とは

 

『おんな城主直虎』で浅岡ルリ子が演じる寿桂尼とは

画像引用元:http://www.cinemacafe.net/article/2016/07/12/41916.html

 

大河ドラマ『おんな城主直虎』で、浅岡ルリ子さんが演じる寿桂尼(じゅけいに)は、駿河国の戦国大名、今川氏親の正室です。

 

夫である今川氏親は、晩年約10年程、病床に伏せていました。

その間、寿桂尼は氏親の側近と共に今川家の国務も取り仕切り、政治的手腕を発揮していたといいます。

 

今川氏親が亡くなった後、寿桂尼は出家して剃髪し、『瑞光院寿桂尼』となり大方殿と称される様になりました。

 

夫の今川氏親亡き後は、長男の氏輝が今川家の家督相続をしています。

ですが当時、氏輝はまだ14歳でした。

 

氏輝が16歳になるまでは、母である寿桂尼が自身の印判を用いて公的文書を発給したりと、かなり政務的な部分を補佐していたといいます。

 

大河ドラマ『おんな城主直虎』では、主人公の直虎がお手本にする様な人物。といった役柄の様ですね。

 

似ている点では、寿桂尼も女性でありながら、家督相続したと同じ位の政治的手腕を発揮していた。という事でしょう。

 

今川家と井伊家は、あまり良い関係ではありませんが、寿桂尼自身は、直虎から慕われていたのでしょうか?

 

大河ドラマ『おんな城主直虎』では、直虎は寿桂尼を慕っていく。といったストーリーなのかもしれませんね。

 

2017大河ドラマ【おんな城主直虎】キャスト一覧!

 

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寿桂尼は何故、『女戦国大名』と呼ばれたのか?

 

寿桂尼は何故、女戦国大名と言われたのか

 

まず、夫である今川氏親が病床に伏せている頃から、今川氏の分国法である『今川仮名目録』を寿桂尼と側近が作成し、氏親の名で配布していたのではないかと言われています。

 

分国法とは、戦国大名が領国内を統治する為に制定した法令の事で、今川氏の分国法である『今川仮名目録』が、寿桂尼の作成とあらば、かなりの手腕を奮っていたという事が解ります。

 

そして、氏親が病死後、家督相続したのが、長男の氏輝。

ですが、まだ氏輝は14歳。

 

16歳になるまで寿桂尼が、氏輝を補佐していたのは間違いないと思われます。

氏輝が発給したとされる文書の中に、寿桂尼が発した公的文書は何通も見つかっています。

 

氏輝が家督相続している頃に混乱も起きていませんから、こういった体制が元々整っていたんでしょう。

なので夫の氏親が寝たきり生活の頃から、寿桂尼がこういった文書等を作成していただろうと言われている事も解る気がします。

 

こういった事から『女戦国大名』と呼ばれる様になったという訳です。

 

さて、家督相続をした氏輝ですが突然亡くなってしまいます。

弟の彦五郎と同日に亡くなったので、謎の死という感じでしょうか・・・

 

そして、今川義元が家督相続をします。

もちろん寿桂尼は母として、そして良き理解者として今川義元を支えたに違いありません。

 

その後、今川義元が桶狭間の戦いによって、命を落とし、寿桂尼の孫である今川氏真が家督相続します。

 

寿桂尼は、孫である今川氏真を支える為、政治にも関わりながら協力していきますが、義元が亡くなった8年後に寿桂尼は亡くなります。

 

結局、氏真は徳川家康に降伏し、戦国大名としての今川氏は滅びる事となるのです。

 

親子3代に渡って支え続けた寿桂尼の手腕は、当時の女性としては素晴らしかったんではないでしょうか?

 

政務に関わるというのは、当時はとても珍しい事だったそうなので、寿桂尼は『女戦国大名』と呼ばれるに値する人物だったという事でしょうね。