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大河ドラマ『おんな城主直虎』で酒井忠次役を演じているのは、みのすけさんですね。

徳川四天王の中では、一番の冷血人間に見えてしまうのは私だけ??

 

やっぱ34話『隠し港の龍雲丸』で、村人達をも巻き添えに城を攻撃した印象からかな。。。

実際は、どうだったんでしょうね。。。

 

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目次

酒井忠次を演じる『みのすけ』の目ヂカラすごい!

 

 

大河ドラマ『おんな城主直虎』で酒井忠次役を演じているのは、みのすけさんです。

みのすけさんは、1965年4月25日生まれで、現在52歳です。

 

みのすけさんって、たまに見かけるから『あ!この俳優知ってる!』って感覚になりますけど、名前が出てこず・・・って時がよくあります。。。^^;

 

しかし、そんなみのすけさんの、この細い目から出る目ヂカラで、大河ドラマ『おんな城主直虎』の酒井忠次役を印象づけてるなぁって感じですよ。

 

なんかねー、この目がキツイ!

この目に睨まれたら、そりゃ方久役のムロツヨシさんもビビるっつーの!

・・・と、なんだか散々、みのすけさんの悪口言ったみたいですみません。。。(*_*)

 

では、その目ヂカラがすごい酒井忠次ですが、大河ドラマ『おんな城主直虎』の第34話『隠し港の龍雲丸』では、この冷酷非道な目つきで、(何回言うねん!)堀川城を地獄絵図の様にしくさりました。。。あ、失礼。

地獄絵図と化しました。

 

百姓たちは逃して欲しい』と方久が、家康に懇願していたのを、最初から無視するつもりだったとしか見えませんでしたけどね。

 

実際のところ、酒井忠次って家康の指示通りではなく、自分のやり方で戦を仕切るタイプの武将だったのでしょうか?

 

酒井忠次は徳川四天王の中で一番長く家康に仕えた

 

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E5%BF%A0%E6%AC%A1

 

大河ドラマ『おんな城主直虎』では、なんとなく冷酷非道っぽい印象だった酒井忠次ですが、徳川四天王の中では最年長で、当主の家康よりも16歳も年上なんですよ。

 

そう思えば、偉そうになるかも???

 

まぁ、戦国時代は年功序列という考え方は無かった様ですが、正直、若造から意見を言われると、気持ち的には『イラッ』としてたのでは?なんて思ってしまいますけどね。

 

とにかく、酒井忠次は家康の父・広忠の時代から仕えたんですから、そりゃ長いですよね。

家康の事も『若!』なんて、呼んでいた時期もあったでしょうし。

 

さて、大河ドラマ『おんな城主直虎』にて堀川城を攻めるシーンがありましたね。

これは1569年に起こった、徳川家康による堀川城攻めを、ドラマの中では酒井忠次が、百姓たちも全て皆殺しにしていました。

 

実際は、徳川家康が石川半三郎に命じて、女、子供含めて約700人を都田川の堤で全員首をはねさせているんです。

 

この戦いに参戦した大久保彦左衛門が書いた『三河物語』では『徳川勢による撫で斬り』と記されています。

なので、徳川家康の命令なんですよね。

 

でも、『おんな城主直虎』での徳川家康のキャラでは、皆殺しを指示するようには出来なさそう。。。

だから、みのすけさんの登場!ってな訳だったのか。。。

 

あのするどい眼光で・・・

て事は、酒井忠次はん・・・勝手に皆殺しした訳ではないのね。。。^^;

 

それと酒井忠次は、忠実な家康の家臣であると言われる理由の1つは、家康最大の危機といわれた中の1つである『三河一向一揆』で、たくさんの家臣達が、反家康勢力である門徒側につく中、酒井忠次は、家康の側を離れず従っています。

 

大河ドラマ『おんな城主直虎』にも出てきますが、本多正信(ノブ)は、この『三河一向一揆』の時、反家康側に所属してるんですよねー。

 

【おんな城主直虎】ノブこと本多正信は徳川家康を裏切った?

 

まぁその当時、色んな事情があったのかもしれませんけどねー。

ただ、家康的にはショック大!!ではあったでしょう。

 

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家康は、忠次に恨みがあった?

 

 

酒井忠次といえば、『三方ケ原の戦い』で、武田信玄に大惨敗した徳川家康の為に、城の上で太鼓を鳴らして味方を鼓舞し、あまりに無防備で楽しげな雰囲気から、武田方に『伏兵がいるのでは?』と思わせて、引きかえらせたとする『酒井の太鼓』と呼ばれる話が逸話としてあります。

 

これは、『三国志』を真似て忠次が思いついたとされますが、あの有名な『三国志』を真似たというのなら、当然、武田勢も『三国志』は知ってるはずだと思うんで、『これって、三国志を真似てるんちゃうん?』てな感じで、疑わなかったのかな?とも思いますが。。。

 

ま、惨敗して戻ってくる家康達を励まし、迎え入れる太鼓という意味だけだったのか?

で、たまたま励ましてただけのところに武田軍が来たけど、違う意味で引きかえしたとか・・・?^^;

 

とにかく酒井忠次は、機転の効く武将だったというイメージですので、色んな考えが浮かびますが。。。

 

さて、そんな酒井忠次が徳川家康に冷たくあしらわれた。。。?との話があります。

酒井忠次は生涯、家康に仕えていましたし、1586年には最高位の従四位下・左衛門督に叙位任官されています。

 

その後1588年に嫡男・家次に家督を譲り、隠居しています。

隠居後ですが、徳川四天王のうち酒井忠次のみ隠居した事になりますが、残りの徳川四天王メンバーや、嫡男・家次の事についても気になっていたんでしょうねー。

 

当時、臼井3万石を与えられた嫡男の家次に対し、徳川四天王残りのメンバーが10万石規模という格差!!

 

何故に・・・家康はん。。。』という気持ちになった忠次は、早速家康に直訴しに行きます。

忠次から抗議を受けた家康は、『お前も我が子が可愛いか?』と言います。

 

これには色々な説がありますが、家康の息子の信康が自害に追い込まれた事を根に持ってたからちゃうん?という説が、有力だと言われています。

 

それは、織田信長から謀反の疑いをかけられ、結局自害する事となった、家康の嫡男・信康の事件のことです。

その事件の時、信長に弁解する役となったのが忠次。

 

どういったやり取りが行われたのか定かでないですが、信長の勢いに負けてしまったのか、元々信康に対して良く思っていなかったのか・・・

 

ま、結局は忠次の弁解も虚しく、信康は自害に追い込まれたんですが、家康としては『忠次、信長が怖くてテキトーに言うたんちゃうん?』という考えが、少しでもあったら、心の奥底で恨みが残ってしまったのでは?なんて思ったりもするけど。。。

 

しかし家康は、忠次を恨んでいたと思われる処遇ではありませんでしたし、まさか家康が忠次を恨んでいたなんて・・・という考えの方も多いようですけどね。

 

とにかく、どういう意味で言ったのか『お前も我が子が可愛いか?』という言葉。。。

なんだか怖い。。。

 

しかし、それ以外は特に家康との関係に問題となった点もない事から、そこまで恨みに思っていた訳では無かったんだろう。。と思いますけどね。。。

う~ん、やっぱ歴史は謎だらけだ。。。^^;

 

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