2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』の主人公、井伊直虎が生きた時代を年表で、活躍した年代を確認してみましょう!
史料が圧倒的に少ない人物ではありますが、どんな時代を生きたおんな城主だったのか?
その戦国乱世とは。。。
目次
井伊直虎の生きた時代の年表で活躍した年代を知ろう!
井伊家・今川家・徳川家に関わる出来事と、その時代にあった世の中の出来事を年号(西暦)別に表にまとめてあります。
年号
(西暦) |
井伊家・今川家・徳川家に
関わる出来事 |
世の出来事 |
永世10
(1513) |
駿河の今川氏親が、
遠江西部まで侵攻。 |
|
永世16
(1519) |
今川氏親の息子、義元誕生。 | |
天文3
(1534) |
井伊直虎誕生
(1534~1537年辺りと言われる) |
織田信長誕生。 |
天文5
(1536) |
今川家が『花蔵の乱』に勝利。
義元が家督を相続する。 |
|
天文6
(1537) |
北条家が今川領に侵攻
(河東一乱) |
豊臣秀吉誕生
(天文5年説もあり) |
天文7
(1538) |
義元の嫡男、氏真誕生。 | |
天文11
(1542) |
徳川家康誕生。 | |
天文12
(1543) |
徳川家康が小田家の人質となる。 | 鉄砲伝来 |
天文16
(1547) |
家康の父、広忠が家臣に殺害される。 | |
天文18
(1549) |
徳川家康、今川家の人質となる。 | フランシスコ・ザビエルが
鹿児島に上陸。 |
弘治3
(1557) |
徳川家康が築山殿と結婚する。 | |
永禄3
(1560) |
今川義元が桶狭間の戦いで戦死する。 | 桶狭間の戦い。 |
永禄4
(1561) |
井伊直政誕生。 | 第四次川中島の戦い。 |
永禄5
(1562) |
徳川家康が織田信長と同盟を結ぶ。
(清洲同盟) |
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永禄8
(1565) |
足利義輝が殺害される。 | |
永禄9
(1566) |
今川家が三河から完全撤退。
徳川家康が三河を統一。 |
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永禄11
(1568) |
今川義元の母、寿桂尼が死去。
徳川家康が遠江に侵攻。 |
織田信長が足利義昭を
擁して上洛。 |
永禄12
(1569) |
今川家が戦国大名としての
地位を失う。 |
|
元亀3
(1572) |
徳川軍が『三方原の戦い』で
武田軍に惨敗。 |
三方原の戦い。 |
天正元
(1573) |
室町幕府が撲滅。 | |
天正3
(1575) |
長篠・設楽原の戦い。 | |
天正7
(1579) |
徳川家康が妻の築山殿を
自刀に追い込む。 |
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天正10
(1582) |
井伊直虎死去。 徳川家康が、
甲斐・信濃・駿河・遠江・三河 5カ国を領有。 |
織田信長が本能寺の変で死去。 |
天正12
(1584) |
徳川家康が『小牧・長久手の戦い』で秀吉と戦う。 | 小牧・長久手の戦い。 |
天正14
(1586) |
徳川家康が豊臣秀吉に臣従。 | |
天正18
(1590) |
徳川家康が関東に移封、
江戸城に入る。 |
豊臣秀吉が天下統一を果たす。 |
慶長3
(1598) |
豊臣秀吉死去。 | |
慶長5
(1600) |
徳川家康『関ヶ原の戦い』で
石田三成に勝利。 |
関ヶ原の戦い。 |
慶長7
(1602) |
井伊直政死去。 | |
慶長8
(1603) |
徳川家康が、征夷大将軍となり、
江戸幕府を開く。 |
|
元和2
(1616) |
徳川家康死去。 |
NHK大河ドラマストーリー参照
有名な武将達と同じ世代を生きた井伊直虎を確認出来ます ↓
【おんな城主直虎】あらすじに徳川家康や武田信玄、織田信長も出る?
井伊直虎が生きた時代、女性の立場とは?
戦国時代の女性は、男性の陰で家を守り、政略結婚などが多かった様に思われています。
そして、井伊直虎の様に女性でありながら当主になった人物というのは、数少なかったという事はありますが、それでも後見人になったり、家を率いた女性もいました。
女性でありながら、政務に関わったとされる代表的な人物として挙げられているのが、今回の大河ドラマでも登場する浅丘ルリ子さん演じる『寿桂尼』です。
寿桂尼の活躍については、こちらをどうぞ! ↓
【おんな城主直虎】浅丘ルリ子が演じる寿桂尼はカリスマ女戦国大名!
ですので戦国時代は、江戸時代に比べると、女性の地位はそれ程低いものではありませんでした。
もちろん政略結婚という事はよくあった話ですが、当時はヨーロッパより日本の女性の方が男性に対してある程度、対等に物が言えていたそうです。
それに、その政略結婚も選ばれた人間だから。という見方も出来る様です。
実際の直虎も、大河ドラマのストーリーの様に、男勝りな性格だったのかもしれませんね。