2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』が始まる事によって、井伊家の歴史について調べる方も増えてきたと思います。
井伊直虎と聞いてピンとこない方も、井伊直弼は知っている方も多いんじゃないでしょうか?
今回は井伊直虎、井伊直弼も含んだ家系図と、井伊家の家紋の意味や、井伊家と今川家の知られざる歴史について触れていきたいと思います。
目次
井伊家の家系図!井伊直弼は井伊直虎の子孫!
井伊直弼は有名ですが、井伊直虎は今回の大河ドラマで、初めて名前を知った方も多いと思います。
最近では、井伊直虎が実は男だった?という史料まで発見されていますし、そういった意味では、まだまだ謎の人物といった感じでしょうか・・・。
性別が違うという話が出てくる位ですからね。
余計に、どんな人物だったのか気になるところではあります。。。
さて、その直虎が活躍した時代ですが、織田信長や武田信玄、上杉謙信といった有力大名と同じ世代になります。
時代の年表で確認出来ます。 ↓
有名な武将達がたくさんいた時代だからこそ、名が知られていないのか?
女性だったからなのか?(男性説もありますが)
史料が少な過ぎて、ホント謎です。。。
さて、その井伊直虎を知る為の家系図が下記の通りとなります。
引用元:http://www.ryotanji.com/rekisi_iike/iinaotora.html
そして、それ以降の井伊直弼までが解る家系図がこちら ↓
こちらの系図には、井伊直虎が載っていません。
一時期、当主を務めたといえど、女性で生涯独身だった為でしょうね。
実際に家督相続をした、『井伊直親』の息子である『井伊直政』から系図が続く形になっています。
しかし井伊直虎の時代から井伊直弼までは、養子も何人かいて、なんだかややこしい感じですね。
養子といっても、その時代は身内からの養子縁組というのが基本なので、かなり血縁関係は薄くなっていますが、家系図から見ると井伊直虎と井伊直弼は血縁関係があるという事でには間違いなさそうですね。
井伊家の家紋の意味
引用元:http://item.rakuten.co.jp/toyolabo/10000453/
井伊家の家紋は、丸に橘ですね。
この『橘』ですが、よく家紋に使われています。
橘が家紋に使われる意味についてですが・・・
まず、『橘』というのは、ミカンの一種で、ひな祭りの日に桜と一緒に飾られたりします。
そもそも桃の節句というのは、『旧暦の3月頃の季節の変わり目に咲く桃の生命力にあやかる。』という意味が込められているそうです。
その頃の変わり目というのは、邪気が入りやすいと言われていて、その厄払いの力が桃にはあると伝えられていたからです。
そして、雛人形のかざりには、桜と橘を飾ります。
特に橘は、香気と雪に強いので、その生命力にあやかるという意味で、昔からそういった場で使われてきました。
そんな意味が込められた橘を、家紋にしている。という訳ですね。
『橘紋』と言えば、源平藤橘の名字の祖といわれている1つで、『橘氏』の代表紋ですね。
ですが、丸に橘の家紋は井伊氏ですね。
井伊氏の家紋は、彦根橘です。
井伊家は近江国彦根藩の主家ですよね。
井伊家の祖先である『井伊共保(いいともやす)』が、捨てられていた井戸の側に橘があった事が由来と言われています。
家紋の由来を知ると、『なるほど・・・』と思う意味が込められていますね。
井伊家と今川家
さて、その井伊家と今川家について触れていきたいと思います。
今川家と言えば井伊家にとっては、切っても切れない間柄ですね。
そもそも井伊氏は、今川氏と室町時代から密接な関係にありました。
一般的には、井伊氏は遠江今川氏の家臣だと言われていますね。
ですが、完全なる家臣という立場では無かったとも言われています。
井伊氏は今川氏の、従属的な立場である部分は大きかった様ですが、それでも井伊氏と今川氏は、独立した同盟関係だった様です。
そして戦国大名となった今川氏ですが、その権力を領内全てにおいて、思いのままに出来たのでしょうか・・・?
大河ドラマ『おんな城主直虎』でも、南渓和尚が住職を務める『龍潭寺』には自由に差配出来る権力がある様には見えないですよね。
戦国大名となった今川氏ですが、井伊氏の様な国衆や、有力な寺社や百姓、民衆に対しては、その権利を認める形で口を出すことも出来た。というのが実態の様です。
ですが、井伊氏存続の危機が訪れる度に、今川氏がなんらかの形で関わっている印象はあります。
今川氏という巨大な権力のもとで、井伊氏は領国統治を円滑にしたり、近隣の諸勢力との争いを有利に運んだりと、うまく事を運んでいた様にも思います。
とにかく、井伊氏と今川氏との関係というのは、一言では言えない複雑な部分もたくさんあったんでしょうね。