2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』が始まり、やっと直虎の名が世に知られる様になりましたね。
女性という事でさえ知られていなかった直虎ですが、女性の当主という事で気になるのが甲冑や兜、刀等も使用していたんでしょうか?
井伊家の甲冑と言えば、『井伊の赤備え』が有名ですね。
そんな井伊家の甲冑を初め、武具についてお伝えしていこうと思います!
目次
井伊直虎の甲冑や兜、刀って?
さて、井伊家に係る甲冑の中で、最古と言われている鎧胴が、京都市東山区の『井伊美術館』にあります。
その鎧胴は、井伊直虎が護持していたそうです。
井伊家は、伝来古器類をほとんど失っています。
というのも、井伊直政以前の当主達は次々と命を落とし、当主不在となる危機に陥った事をきっかけに直虎が当主の役目を果たしています。
そういった井伊家滅亡ともいえる時代、井伊家伝来の古器類も同じく失う事となったのです。
この直虎が護持していた鎧胴は、井伊直平以来の遺品となっています。
なので、この井伊美術館には、とても貴重な品々が展示されているという事になります。
刀についてですが、直虎が所用脇差として使用していたものも、井伊美術館に展示されています。
これは直江志津と称された、兼友の作です。
この直虎愛用の脇差は、江戸時代になって与板藩主の井伊直暉の愛刀になります。
他にも、井伊直虎が愛用していた鏡等も展示されてありますので、戦国時代の井伊家にまつわる古器類を見学に行くのもいいですね。
京都観光しながら楽しめそうですし!
京都市東山区花見小路四条下ル四丁目小松町564
それと兜についてですが、実際に戦に参戦していた井伊直政の兜は、こちらになります。
こちらは、静岡県の方で展示されていた兜です。
画像引用元:http://www.vivere.jp/special/2016/05/post-156.html
直政が、初陣に参戦した時に使用した兜は、井伊美術館に展示されています。
この様に一つの県だけではなく、いろんな場所に井伊家にまつわる武具等が展示されているんですね。
井伊の赤備えと直虎の関係は?
画像引用元:http://www.ryotanji.com/rekisi_iike/iinaotora.html
『井伊の赤備え』といえば、井伊直政ですね。
ただ、『赤備え』と聞くと、武田信玄の部隊をイメージする方も多いと思います。
もちろん井伊家の赤備えは、武田家の赤備えと関係があります。
武田信玄の部隊で山県昌景を将とする『武田の赤備え』は、その圧倒的な強さによって、敵陣から恐れられていました。
武田信玄が生まれたのは、井伊直虎より10~15年程前です。
井伊直虎と同じ時代を生きているので、この赤備えについては直虎も、もちろん知っていたはずです。
その武田の赤備えを引き継いだのが、井伊の赤備えですね。
そして、井伊直政の教育をしていたのが、直虎と言われています。
その直政を、徳川家康に引き合わせる様に仕向けたのも、井伊直虎です。
その時から直政が、徳川四天王の1人と呼ばれるまでになる実力を持たせる教育を、直虎がしていたのかは解りませんが、それ相応の精神力を身につける教育をしていたんでしょうね。
こちらが、井伊の赤備えです。
画像引用元:http://www.naorai-komichi.jp/
徳川家康は、武田の赤備えの恐ろしさを知っていましたし、印象深かった様です。
自分の信頼する家臣である井伊直政に、武田の赤備えを支えた旧臣達を呼び寄せ、井伊直政を将として、井伊の赤備えを作ったとされています。
井伊直虎が引き合わせた徳川家康。
その徳川家康から赤備えを引き継ぐ様に言われ、結果『井伊の赤備え』は有名となり、井伊直政自身も『井伊の赤鬼』とまで呼ばれる程、恐れられました。
結果的に井伊直政は、井伊直虎の想い通りの人生を生きたのでしょうか・・・?
その武田信玄と井伊直虎が同じ時代を生きたというのは、こちらから確認出来ます。 ↓
【おんな城主直虎】武田信玄は直虎と同じ時代を生きた井伊家の敵なのか?