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大河ドラマ『おんな城主直虎』で徳川信康役を演じるのは、イケメン俳優の平埜生成さん!
さて、徳川家康の嫡男・徳川信康のエピソードでよく聞くのが、母の築山殿(瀬名)と嫁の徳姫の仲が悪かったという話。
そういった話が出るのは、徳川信康が自害させられてしまった事が原因です。
自分の息子が自害する事になってしまった家康の胸中は・・・?
目次
『おんな城主直虎』で徳川信康を演じるのは平埜生成!
今回『おんな城主直虎』で、徳川信康を演じるイケメン俳優平埜生成(ひらの きなり)さんは、1993年2月17日生まれで現在、24歳です。
平埜生成さんは、舞台や映画などでも活躍されていますが、テレビで私が印象に残っているのは、篠原涼子さん主演のドラマ『オトナ女子』です。(^^)
けっこう前のドラマですけど、そこに鈴木砂羽さんの大学生の息子役で出演されていましたねー!
『男前やん!』と思っていたのが印象的です。
んー、でも、それから私はテレビで見かけた記憶は無かったんですが(失礼^^; )
しかし、今回『直虎に登場するやん!』と思って、再び思い出しました。(笑)
でもって、ツイッターで、少し気になる画像が・・・・
まずは爽やか好青年で、直虎の宣伝してます! ↓
インターネット TVガイド
本日より登場いたします
おんな城主 直虎 のお話させて頂きました。宜しくお願い致します!#おんな城主直虎 https://t.co/Vfqk2umzew— 平埜 生成 (@kinarichan) 2017年10月1日
だが。。。ひぇー!
これは。。。誰?というツイッター画像が。。。
平埜生成おいなり、坂口憲二かと思いました(笑)!ワイルドにティボルトやってましたがなっ(≧∇≦)!賀来賢人の手下やってた頃からえっらい成長しましたな!こいつめぇ(*^^*) pic.twitter.com/deqzt9Cdnw
— 広崎うらん (@uranhirosaki) 2014年8月5日
こ・・・この舌にピアス男か?
いやいや、舌の上にアメが乗ってるだけやんなー。。。^^;
しかしこれが、平埜生成さん?とびっくらこいてしまいました。
ま、とにかく徳川信康役では、キリリッとしといてやー!
と、余計なお世話ですね。。。^^;
築山殿(瀬名)と徳姫は仲が悪かったのか?
いつの時代も起こり得るのが『嫁・姑バトル!!』。
なので、築山殿(瀬名)と徳姫の間にあったとしても、なんら不思議はないのよねー。
まぁ、そもそもこの築山殿(瀬名)と徳姫の間に嫁姑バトルがあったのでは?なんて言われるのは、徳川信康切腹事件が起こった理由の一つとしてあげられているんです。
大久保彦左衛門が書いた『三河物語』にもこの信康切腹事件が記述されています。
そこに書かれている事を簡単に書きますと・・・
織田信長の娘・徳姫と結婚した信康の母・築山殿は、今川の血を引く者。
その考え方なども含め、徳姫と折り合いが悪く、更には夫婦仲も悪化していた。
天正七年(1579年)に徳姫は、父・信長に『12箇条の手紙』を渡した。
そこには信康との不仲や、築山殿が武田勝頼と内通していると記されていた。
その内容を確かめるべく、家康の重臣・酒井忠次に問いただした結果、事実と認める。
そして、築山殿は佐鳴湖の畔で、家康の家臣・岡本時仲、野中重政により殺害された。
信康は事件以降、幽閉先だった二俣城で切腹を命じられた。
とまぁ、こういった内容です。。。
この中に、嫁姑バトルしてるなぁ。と思われる内容がこちらです。 ↓
◎ 築山殿が自分と夫の仲を引き裂こうとしている。
◎ 自分が男子を産めなかった事で、築山殿は武田家に繋がりのある女性を側室にし、武田家との内通を企んでいる。
◎ 武田頼康からの文を盗み見したが、そこには信康に武田家に味方するように。
そして、築山殿もそうしむけている。と書かれていた。
といった事が、12個条の手紙の中に書かれていたので、こりゃ、嫁姑バトルが白熱して、ついに徳姫がパパに頼んで2人を始末した?的な印象となっています。
そもそも築山殿(瀬名)は、母の佐名が井伊の人質として今川で暮らしていたので、要は今川で育った訳です。
今川寄りの考え方をしていたかもしれませんが、実際は佐名の血を引いてるという事は、井伊家の血筋な訳ですからね。
逆に今川に敵意があったのかもしれませんし・・・
そこの感情次第で、大きく変わってきます。
そして、築山殿(瀬名)の父親は関口親永で、駿河今川氏の有力家臣でした。
まぁ、そういった事もあり、今川寄りの考えだったのかもしれません。
織田家からすると、築山殿(瀬名)は、あまり信用出来ないという考えになったんでしょうね。
そういった事も徳姫と築山殿の折り合いが悪かった理由の1つだと言われています。
そう思ったら、『徳姫こぇー』ってな事です。
しかしですね。。。。
本当に徳姫って、嫁姑バトルでここまでの事を父親に告げ口するものでしょうか?
この時代ですから、内通なんて自害に追い込まれる事は解っていたはず。。。
しかも『三河物語』では、信康は無実を訴え続けていたと書かれていますので、ついつい無実の罪を織田家にきせられたと思ってしまいます。
瀬名と徳川家康の生涯!【おんな城主直虎】で築山殿と呼ばれる事になるのか?
信康が自害した本当の理由は?
しかし『三河物語』は、徳川家びいきの記述が多く見られるという指摘があるんですよね。
やっぱ、幕府としては今後語られる書物として、徳川に嫌なイメージは残したくないでしょうから。
でも、あまりに徳川びいきの内容としてしまうと、逆におかしいのかな?と思う部分もありますよねー!
ま、それが人間っつーもの。
いやいや、そう思われるかもしんねー。と思って、大久保彦左衛門は、こんな注釈も書いてるんですね。
『門外不出であり、公開するつもりもないため他家のことはあまり書かず、子孫だけに向けて記した。この本を皆が読まれた時、(私が)我が家のことのみを考えて、依怙贔屓(えこひいき)を目的として書いたものだとは思わないで欲しい。』
と抜かしていらっしゃ・・・・あ、失礼。
と、おっしゃっているんですよ。
ついつい、信じてしまいそうだけど、でも何度も言うてまうけど、『でもそんな簡単に信長って、娘(徳姫)の話を鵜呑みにするかー?』とも思う部分もあります。
だって、結構な一大事ですよ。
そんな大事、その文だけで動くものでしょうか?
一応、酒井忠次に確認して認めた。って書かれていますが、それも少し不可解ではありますが・・・
もちろん、弁解はしたのでしょうが、結果的に認めた。という意味なのですね。
でも、本当にやってないのなら『認める』って。。。どういった場合にそうなるんでしょう?
『おんな城主直虎』のストーリーの様な展開でしょうか・・・?
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要は、信長の言いがかりだという事を強調している訳なんですが、どっちにしても表面化されていない奥深い部分での策略があった事は予想出来ます。
更に、家康と信康との間に大きな確執が生まれてきて、それが三河と岡崎の家臣達の不満なども混ざり、結局家康は息子の信康を亡き者にした方が良いと考えたという説が有力だという意見も、たくさんありますね。
でも、その事件が起こる数ヶ月前に、家康は岡崎へ息子の信康を訪ねています。
その時口論はあったものの、話し合いが落ち着いた様ですよね。
実の親子がそんな計画的な事をしなければならない程の確執ってあるのでしょうか?
しかしその時代は、親子だろうが関係ない。といった時代だったのかもしれませんが・・・
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