おんな城主直虎』の菅田将暉さん演じる井伊直政(虎松)について、今回は取り上げたいと思います。

苛烈な性格と言われていた井伊直政の強さや、その妻と家督相続した息子についても気になるところです。

更に、大河ドラマでの最後はどんな締めくくりになるんでしょうか?

その辺りも予想してみたいと思います。

 

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目次

菅田将暉演じる井伊直政

 

 

菅田将暉さん演じる井伊直政ですが、登場する前からいろいろと話題になっていますね。

話題の俳優さんが演じるという事もあり、更に井伊直政という人物は、直虎よりもメジャーですからね。^^;

 

さて、その井伊直政ですが徳川氏の家臣として、徳川家康の天下取りを支えた人物でもあり、徳川四天王の1人と言われています。

 

徳川四天王というのは、徳川家康の側近として功績を立て、江戸幕府を支えた、榊原康政井伊直政本多忠勝酒井忠次の4人の武将の事です。

 

井伊直政は、他の3人の武将達よりも若く、後から家康の側近として従事してきましたが、一気に他の3人と同じ地位まで登り詰めています。

 

その理由は、戦での圧倒的な強さ(井伊の赤備え)等、武力的な力はもちろんの事。

政治的な手腕など交渉能力も高く、度々家康のピンチを救ったという事も大きな理由です。

 

ただ、井伊直政は父親の直親譲りのイケメンで、家康とも衆道関係にあったと言われていますから、家康は直政の事が、かなりお気に入りだったんだろうなぁとも思ったりします。

 

井伊直政は還俗したのが遅く、22歳の時でした。

それまでは家康の小姓として(雑用係的な役割)仕えていましたので、家康がなかなか離してくれなかったのかも?とも思ったりします。

 

さて、そんな井伊直政の妻子について次に紹介したいと思います。

 

井伊直政が徳川四天王になるまでについては、こちらから確認出来ます。

菅田将暉【おんな城主直虎】の井伊直政(虎松)ってどんな人物?

 

井伊直政の妻と息子は?

 

井伊直政の妻は

直政の幼名は、ご存知の通り『虎松』です。

幼少期は、直虎に教育されていたそうです。

 

虎松は、父・直親譲りの端正な顔立ちで、今で言う『イケメン』だったと言われていますね。

直親もかなりイケメンだったそうですが、直政の方がかなりの美男子だったのは有名な話です。

 

そんなイケメン直政と結婚したのは松平康親の娘・『』です。

徳川家康と松平康親は親戚という間柄。

 

その娘、『』は徳川家康の養女となってから、直政と結婚しました。

花と聞くと、なんだか可愛いらしい人を想像しますよね。

 

ですが、この直政の妻『』は、かなりのかかあ天下だった様です。

苛烈な性格で、戦では先頭に立って生傷の耐えなかった武将。と言われた直政も、この花には頭が上がらなかったそうです。

 

その直政の正室・花との間に生まれた長男が『井伊直勝』です。

幼名は直政と同じ『万千代』で、後に直勝となります。

 

さて、その正室である花とは別に、直政には側室もいました。

 

直政が岡部宿にある印具氏の屋敷で宿泊していた時期、直政の身の回りの世話をしていた女性が側室となり、直勝が生まれた年と同じ時期に駿河国中里で、直政の子を産みました。

 

それが、後の『井伊直孝』です。

幼名は『弁之助』。

正室・花の息子、万千代と同い年というのがミソですね!

 

直政は、その女性の事を花に知られるのが怖く、バレない様にしていたとか・・・^^;

しかしそんな事は不可能で、結局直孝の存在は、花に知られてしまいます。

 

直政は花に気を使ったのか解りませんが、直孝と直接対面したのは、生まれてから約10年後でした。

 

結局、この2人の息子のうちどちらが井伊家の家督相続をしたのでしょうか・・・??

それは・・・・最終的には側室の子である、直孝になります。

 

といいますか、最初は正室の子である直勝が家督相続しました。

ですが慶長20年、徳川家康によって直孝に家督を継ぐ様、命じたそうです。

 

理由は、正室の子・直勝は病弱であった為。と、されていますが、どうやら慶長19年、大阪冬の陣で井伊家の大将として家康が直孝を指名した頃から、家康としては直孝の方が当主に相応しいと判断していた様ですね。

 

そうして家康の思惑通り、直孝は大阪冬の陣で期待に応え、正式に井伊氏の家督を相続しました。

 

さて、正室の花ですが、直政の死後に出家し『唐梅院』と名乗りました。

出家後も、息子の直勝を支え続けていったそうです。

 

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『おんな城主直虎』での井伊直政の最後は?

 

画像引用元:http://odanobu.com/character/ii-naomasa/

 

井伊直政は、戦の時も先頭に立ち、自ら軍を引き連れ飛び込んでいく様な戦い方をしていました。

 

そんな戦い方をしていた直政は、慶長7年(1602年)『関ヶ原の戦い』で受けた鉄砲傷による破傷風が原因で、佐和山城で亡くなりました。

享年42歳でした。

 

徳川家康が、73歳で亡くなっている事を思えば、若いですよね~。

そう思うと、向こう見ずな性格で、戦に挑んでいた事が命を縮まらせたのでしょうね。

 

家康の様にうまく家臣を使い、自分の身の安全を第一に考えるといった事をしなかったのでしょう。

でも、ある意味そんな突っ走った人生であるからこそ、逆に悔いの無い人生を生きたという思いもあったのかなぁと感じますね。

 

大河ドラマ『おんな城主直虎』では、井伊直政が亡くなるまでを物語として放送するんだろうと思ったりします。

いや・・・

でも、それじゃ直虎死んでますしね。

 

やっぱり直虎が亡くなったと同時に大河ドラマは最終回になるのかな?と思うと、それもまたおかしい・・・

だって、直虎が亡くなるのは、1582年。

 

直政が元服して、家督相続する年と同じですから。。。

それから直政の活躍(井伊の赤備え)が見れるんですからね。

 

菅田将暉さんも、『赤備えの甲冑は格好いいですし、あれは着てみたいです。』とコメントされていますからね~。

そりゃ、着るでしょ。

と思うのですが・・・

 

私の希望は、やはり菅田将暉さん演じる井伊直政が亡くなるまで観たいなぁと思うんですけどね!

う~ん、どうなる事やら。。。

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