武田信玄といえば有名な戦国武将ですね。

おんな城主直虎』の主人公である井伊直虎も同じ戦国時代を生きぬいた人物です。

その井伊直虎が当主として守り抜いていた『井伊谷城』は1度、武田信玄の部隊によって落城されています。

という事は、武田信玄は井伊家の敵だったのか・・・?

その辺りを簡単に解りやすく紹介していきたいと思います。

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目次

武田信玄とは

 

武田信玄

引用元:http://www2.harimaya.com/takeda/html/tk_zou.html

 

甲斐国(現在の山梨県)を統一したのは、武田信玄の父である武田信虎です。

その父である武田信虎を駿河に追放し、そこから武田家の家督を相続したのが武田信玄です

 

武田信玄は、領土拡大を目的とした戦を繰り返していました。

そうして、領土を広げていき、武田信玄の名はあっという間に広く知られる様になります。

 

領土をめぐっては、北条氏康や今川義元とも衝突していましたが、そんな武田信玄の最大の敵だったのが、上杉謙信です。

 

武田信玄と上杉謙信は、お互い頭脳明晰で、入念な戦略を練って戦に望むといった負けない戦をする武将でした。

 

5度に渡る川中島の戦いでも、はっきりとした決着がついていないとされるも、大勢の有力な武将達が命を落としています。

 

そして、武田信玄は上杉謙信との戦で、3000人以上の上杉軍の生首を城の周りに囲み、見せしめの様な形にしたというのも有名な話です。

 

更に武田信玄は兵士に、捕虜達を酷い殺し方にする様命じたり、人身売買や奴隷労働など、かなりの極悪非道な事をしていたといいます。

 

そんな武田信玄は、天下統一を目指す織田信長とも敵対する事となります。

ですが、その矢先に武田信玄は病死してしまいます。

 

武田信玄という人物は、戦国最強と言われる騎馬軍団を卒いていたとされる有名な武将で人気もありますが、逆に冷血で野蛮な部分が受け入れられないとされる人達も多いです。

 

そんな武田信玄と井伊直虎との間に接点はあるのでしょうか?

 

井伊直虎と武田信玄は同じ時代を生きた敵なのか?

 

井伊谷城を狙う武田信玄

画像引用元:http://www.kirin.co.jp/csv/food-life/know/activity/foodculture/10.html

 

さて、武田信玄と井伊直虎との接点についてですが・・・

同じ戦国時代を生きぬいた人物という事は間違いありません。

 

武田信玄は1521年生まれ。

そして、井伊直虎ですが、詳しい史料があまりにも少なく、生まれ年は、1536年前後ではないかと言われています。

 

1572年に武田信玄が、信濃から遠江・三河侵攻を行います。

そして1573年には、三方ヶ原の戦いで、武田信玄は織田信長、徳川家康の連合軍に圧勝しました。

 

その後、武田軍は、井伊谷に乱入します。

その頃、井伊谷城には井伊直虎と、虎松(井伊直政)がいましたが、武田軍の別部隊である山県昌景が井伊谷城に攻め、直虎達は落城します。

 

武田軍は井伊谷に乱入した際、民家や神社などお構いなしに次々と壊し、焼き払っていました。

その時、井伊家の菩提寺である龍潭寺も全焼してしまいます。

 

井伊直虎と虎松は、井伊谷城から浜松城へと逃れたので命を落とす事はありませんでした。

 

そういった事から考えると、井伊家の敵という事より、まず武田軍の圧倒的な強さに驚かされますし、こういっては何ですが、敵という対象でもなくあっさりと侵攻出来た。といった感じですね。

 

その後武田信玄は、その勢いで徳川家康の三河における属城の1つである野田城を包囲しました。

 

野田城を落とす事には成功しましたが、同じ頃、武田信玄は病に倒れたのです。

そして、武田軍は武田信玄を連れ、甲斐へと引き帰る道中、武田信玄は亡くなったのでした。

 

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武田信玄と井伊直政との接点も!

 

井伊直虎も安泰へ

画像引用元:http://www.ryotanji.com/rekisi_iike/iinaotora.html

 

その後、井伊直虎は井伊谷城を奪い返す事に成功します。

 

そして、直虎の晩年は井伊谷の自耕庵(現在の妙雲寺)で、穏やかに過ごしたとされています。

 

さて、その直虎が教育して育てた虎松ですが、その後に井伊直政となり、井伊家の家督相続をします。

 

そして、直政は徳川家康の家臣となり、『徳川四天王』と呼ばれるうちの1人となった事は、有名ですね。

 

その井伊直政と武田信玄に共通している部分は『赤備え』です。

赤備えとは、戦の際に身につける鎧や兜などを赤で統一させた軍隊の事を言います。

 

元々、武田信玄の軍で、山県昌景を将とする部隊が『武田の赤備え』と呼ばれていました。

 

そして、その『武田の赤備え』の圧倒的な強さは、瞬く間に世に知られる事となりました。

 

武田軍が織田信長に滅ぼされた後、徳川家康が武田の赤備えを支えた山県隊の旧臣達を呼び寄せ、井伊直政を将とする新たな部隊を、『井伊の赤備え』とし、武田の赤備えを引き継ぐ形となりました。

 

そして、井伊直政が引き連れる『井伊の赤備え』は、将である井伊直政自身も『井伊の赤鬼』と呼ばれる程、恐れられる様になったのです。

 

こういった事からも、武田家と井伊家には結果的には、接点があったという事になります。

しかし、赤備えの『』という色は、人の気持ちを心底強くしていく力があったんだなぁと思いますね。

 

その武田信玄のキャストについての記事はこちらです。

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